ゼロの本棚

思ったこと、思い出したこと、感じたこと

銀塩少年~一途な想い、強い想い~

取り組んでいたことも終わり、今まで放置していた漫画の整理でもしようと思い、本棚を開いた。
わりと読み込んだものから平積みにしただけのものまで、意外とたくさんの種類の漫画があった。

銀塩少年があったのはそんな本棚の一番上の段、右の奥の方にあった。

この漫画は中学生か高校生の頃に買ったものだ。とても懐かしい。

買った理由は「好きな漫画家のアシスタントさんの作品だから」という、「いや、中身じゃねーのかよ」とつっこみたくなるようなもの。

しかし、漫画を買い始めた頃に買ったものなのでホントに懐かしく、本棚の整理は一旦休み、手にとって読み始めた。

あらすじはこうだ。
あるところに写真を撮るのが大好きな少年マタタキと元気っ子ガールミライがいた。マタタキは「置きピン」という、景色を予想してシャッターを切る撮り方を得意としている。そんなある日偶然マタタキは未来の写真を二枚もとってしまう。一枚は自分が想い寄せるミライが知らぬ男とキスをしてるもの。もう一枚は自分が死んでいるもの。そしてマタタキは決意する。ミライが自分と付き合う未来に変えようと、例え自分が死ぬことになっても。

恋愛とSFが混ざった作品で全四巻。一気に読むにはよい分量だ。

ここからは多少ネタバレが入るため、この作品を読もうと思ってる方は自己判断で。














読み直しての率直な感想を一言で

なんて一途な想いなんだ

これにつきるのではないだろうか。

言ってしまえばよくある恋愛ものである。しかし、今作は自分の死が関わっている。そのまま行けばもちろん死んでしまうが、逆に言うとマタタキはミライを諦めれば生き延びることもできるのだ(実際物語のなかでマタタキに想いを寄せる別の女の子が出てくる。)

それでもマタタキは自分が好きで、写真を撮る動機でもあるミライのことを諦めない。

ミライがその他の男と二人で海外にいこうとも、付き合おうとも、プロポーズされようとも。

この作品では未来の写真に関する最終的な定義はこうだ(明かされたのは最終巻)

写し出されるのは「防ぐべき未来。そして「ふたり」の想いがないと写らない」

そう。ミライも初めからマタタキに想いを寄せていたのだ(なぜ他の男と海外に行ったりしたかは今回割愛)。


作中の台詞にこんなものがある

「想いの強い人間が救われる世界であってほしい。」

この世の中、想いだけではどうにもならないことは多くの人が実感しているだろう。恋愛も、仕事も、人間関係も。運やずる賢さ、悪意、個人の私利私欲などで訳のわからない方向にいくものだ

ただやっぱり私としては想いの強い人間が報われてほしいと思う。もちろん引き際も大事である。しかし、その人、そのものに想いの強い、思い入れの人間に幸福が訪れてほしい、この世がそんな世界であってほしいと思う。

銀塩少年にはこの意外と見落としかけている「一途な想い」「強い想い」が愚直に描かれている。そこが読み直していいな、この作品と思ったところだ。

今回の銀塩少年との再開を何かの縁だと思って、気分であるがブログを開設した。

文才などない。皆無だ。国語は苦手科目だ。しかし大人はよくこういう。
「大人になるとなかなか感動しなくなる。若い頃のほうがよく感動できた」と。

ものをみて色々と思う「これ」はいつか消えて忘れてしまう、そして二度と手には入らないのだそうだ。

それはいやだ。

そう思い、自己満足ではあるが自分が触れたものに関して思ったことを書くこのブログを立ち上げた。

漫画やアニメ、本や曲などで思うことがあったらまた更新しようと思う。

では、また会うときまで。